近所の本屋に立ち寄り、ビジネス書のコーナー(狭い)をざっと眺めていたら、どこかで見たことのあるような表題の本が1冊目に入った。推薦をしているのが、東大の藤本隆宏教授である。著者の名前をじっと眺めていて思い出した。東洋経済オンライン(だったと思う)で楠木建氏と対談していた人ではないか。その当時ちょっと関心があったので、この本の「なか見検索」などもやった覚えがある。偶然の出会いに感謝して購入した。
三宅秀道著「新しい市場のつくりかた」(明日のための「余談の多い」経営学):東洋経済新報社 である。
商品の価値の創造がすなわち市場の創造になる。そのためには、生活習慣、価値観、文化を開発していかなければならない。このような壮大な考え方を、主として中小企業を中心とした多くの成功事例を示しながら、やさしい語り口で述べた本である。
読了して、著者の言わんとしているところが納得できたと思う。ただ、事例が多く、語り口がやさしいのに、なぜかすぐに理解できない部分が多いのである。例えば、途中まで読んで、中断して、また元のページを開いたとき、「何の話だったっけ」と2,3ページ戻らなければならない、といった具合である。
腑に落ちないまま別の話に移ってしまった、と思っていると、また元の話に戻るということも少なからずあった。
最後まで読んで、目次を見返してみると、何と、すべてのエピソードが思い出せるのである。途中で止めたら「結局何だったんだ」ということになりかねない。中断せずに一気に読むことが必要である。
サブタイトルに「余談の多い」とあったが、なるほどそのせいで迷子になるのかと思う。犬の散歩で、いつもとは違う細い道に入り込み、「あれ?道に迷ったのかな?」と思っていると、いつもの道に出ている、ということがよくある。そんな不思議な本である。
2013年11月12日
「新しい市場の作り方」は不思議な本
posted by 石田厚子 at 13:54| Comment(0)
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2013年11月07日
「金持ち父さん 貧乏父さん」で働くとは何かを考えた
10月に個人事務所を立ち上げた。1か月以上経って、初めて研修講師の仕事をした。その報酬は来月末に入る。要するに、3か月間無収入である。
何もしていないわけではない。仕事を取るためにHPを立ち上げ、アクセス数を上げるためにSEMも始めた。研修に役立つ情報を得るために多くの書籍を購入して読み、ブログ(ここ)に感じたことなど書いている。研究会などで頼まれて話をすることがある。でも無収入である。ということは、私は働いていないのか?
そんな時、夢中になって読んでしまった本がある。研修中の宿泊先のホテルでも2時間も読みふけってしまった。
ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター著「金持ち父さん 貧乏父さん」(アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学」:筑摩書房 である。
本書は、翻訳が出てから13年になる。多分、13年前には手に取る気もなかっただろうし、読んでも「これはアメリカの話であり、日本では、一所懸命働いて、無駄遣いせずに貯金すれば定年後はゆったり暮らせるはず。」とすぐに忘れてしまったことだろう。しかし、今の日本では、まさに、ここに書かれたことは現実になっている。あくせく働いても、豊かな老後は保証されない。私の30代の子供たちは、お金についてもっと真剣に考えなければならない。
そのような思いで、ひとつひとつの内容を「ふむふむ、そうだそうだ」と読み進むうちに、自分自身についてあてはめて、何とも知れない違和感を感じた。この本で書かれていることは「働くこと」ではなく「稼ぐこと」についてではないか、ということである。つまり、「働くこと」と「稼ぐこと」は違うのではないか、と気付いたのである。
不動産や株を売買してお金を稼ぎ大金持ちになることは、働くことではない。では、働くとは何だろうか。
私は、遊んでいるわけではないが無収入である。稼いでいないのは確かだが、働いていないのだろうか。
少なくとも、研修の講師をしている間は働いていると言える。さらに、研修資料を準備し、話す内容を練り、打ち合わせをし、契約書を交わし、見積書を出すなども働くことの中に入れてもいいだろう。お金を稼ぐこととは別に、他の人のために何かをしていることが「働くこと」なのではないか。
会社員だった8月までは、「働くこと」は朝会社に出勤し(片道2時間)、会社規則にのっとって社内で資料を作ったり教育したり、打ち合わせしたりして、夜家に帰る、ことであった。それに対して月末には給料が振り込まれたので、「働くこと」と「稼ぐこと」は一致していた(と感じていた)。しかし、退職したらそうはならなくなった。遊んでいないのにお金は入ってこない。働くことと稼ぐことが一致しているのは勤め人だけに当てはまる図式だったのである。
「金持ち父さん 貧乏父さん」で学ぶべきことは、「働くこと」と「稼ぐこと」違うということである。これからは、退職後のゆとりある生活をするためには、働くだけではなく稼ぐことも考えなければならない。そして、「稼ぐ」という言葉を「働く」ことより下に見ることを改めない限り、将来は安泰ではない、ということである。
本当に示唆に富んだ本である。
何もしていないわけではない。仕事を取るためにHPを立ち上げ、アクセス数を上げるためにSEMも始めた。研修に役立つ情報を得るために多くの書籍を購入して読み、ブログ(ここ)に感じたことなど書いている。研究会などで頼まれて話をすることがある。でも無収入である。ということは、私は働いていないのか?
そんな時、夢中になって読んでしまった本がある。研修中の宿泊先のホテルでも2時間も読みふけってしまった。
ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター著「金持ち父さん 貧乏父さん」(アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学」:筑摩書房 である。
本書は、翻訳が出てから13年になる。多分、13年前には手に取る気もなかっただろうし、読んでも「これはアメリカの話であり、日本では、一所懸命働いて、無駄遣いせずに貯金すれば定年後はゆったり暮らせるはず。」とすぐに忘れてしまったことだろう。しかし、今の日本では、まさに、ここに書かれたことは現実になっている。あくせく働いても、豊かな老後は保証されない。私の30代の子供たちは、お金についてもっと真剣に考えなければならない。
そのような思いで、ひとつひとつの内容を「ふむふむ、そうだそうだ」と読み進むうちに、自分自身についてあてはめて、何とも知れない違和感を感じた。この本で書かれていることは「働くこと」ではなく「稼ぐこと」についてではないか、ということである。つまり、「働くこと」と「稼ぐこと」は違うのではないか、と気付いたのである。
不動産や株を売買してお金を稼ぎ大金持ちになることは、働くことではない。では、働くとは何だろうか。
私は、遊んでいるわけではないが無収入である。稼いでいないのは確かだが、働いていないのだろうか。
少なくとも、研修の講師をしている間は働いていると言える。さらに、研修資料を準備し、話す内容を練り、打ち合わせをし、契約書を交わし、見積書を出すなども働くことの中に入れてもいいだろう。お金を稼ぐこととは別に、他の人のために何かをしていることが「働くこと」なのではないか。
会社員だった8月までは、「働くこと」は朝会社に出勤し(片道2時間)、会社規則にのっとって社内で資料を作ったり教育したり、打ち合わせしたりして、夜家に帰る、ことであった。それに対して月末には給料が振り込まれたので、「働くこと」と「稼ぐこと」は一致していた(と感じていた)。しかし、退職したらそうはならなくなった。遊んでいないのにお金は入ってこない。働くことと稼ぐことが一致しているのは勤め人だけに当てはまる図式だったのである。
「金持ち父さん 貧乏父さん」で学ぶべきことは、「働くこと」と「稼ぐこと」違うということである。これからは、退職後のゆとりある生活をするためには、働くだけではなく稼ぐことも考えなければならない。そして、「稼ぐ」という言葉を「働く」ことより下に見ることを改めない限り、将来は安泰ではない、ということである。
本当に示唆に富んだ本である。
posted by 石田厚子 at 15:43| Comment(0)
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2013年11月04日
「統計学が最強の学問である」で統計学に少し近づく
秋はイベントが多い。著名人の講演が聴けるチャンスでもある。その一つ、Hitachi Innovation Forum 2013に参加することができた。
講演の選び方は様々であるが、今回は、リバース・イノベーションの著者であるビジャイ・ゴビンダラジャン氏、「統計学が最強の学問である」の著者である西内啓氏と、あと二つを選んだ。
ゴビンダラジャン氏の著書は、昨年読んで目からうろこが落ちるほどの影響を受けたので(それ以前の著書のストラテジック・イノベーションはちょっと受け入れがたかったが)、ぜひ直接話を聞きたいと期待して申し込んだ。結果は、期待通りであった。
一方の西口氏の著書は、書店でいつも見かけるにもかかわらず、何となく手にするのが怖くて(統計学に抵抗があるのか?)立ち読みすらしていなかった。本は読まなくても、講演を聴けば何となく分かるかもしれない、とのずるい考えでの参加であった。その結果、すぐに本屋に行って本書を購入し、読むことになってしまった。
西口 啓氏著「統計学が最強の学問である」:ダイヤモンド社 である。
本書は、統計学の解説書と認識した。決してビッグデータの解説書ではない。
講演のとき、「え、こんなに若い人なの?」と思ったが、その通りのことを本人に言われて驚いた。同様に、私のように40年以上前に大学を卒業した人が「統計学」を敬遠したがる理由を言い当てられたように思う。要するに、難しい数式、要するに何を言っているのか分からないこと、騙されたような嫌な感じである。
本書では、統計学のこれまでの研究成果の全体像を解説することにより、全体像と向かう方向を見せてくれている。特に、統計学の理解が劇的に進む1枚の表、の節に示された、一般化線形モデルをまとめた1枚の表は、何度も戻って確認した。
本書を読んですぐに仕事に応用するのは難しいが、ビッグデータについて語るのなら、これくらい読んでおかなければ、と思わせる本である。1日で読めると思う。
講演の選び方は様々であるが、今回は、リバース・イノベーションの著者であるビジャイ・ゴビンダラジャン氏、「統計学が最強の学問である」の著者である西内啓氏と、あと二つを選んだ。
ゴビンダラジャン氏の著書は、昨年読んで目からうろこが落ちるほどの影響を受けたので(それ以前の著書のストラテジック・イノベーションはちょっと受け入れがたかったが)、ぜひ直接話を聞きたいと期待して申し込んだ。結果は、期待通りであった。
一方の西口氏の著書は、書店でいつも見かけるにもかかわらず、何となく手にするのが怖くて(統計学に抵抗があるのか?)立ち読みすらしていなかった。本は読まなくても、講演を聴けば何となく分かるかもしれない、とのずるい考えでの参加であった。その結果、すぐに本屋に行って本書を購入し、読むことになってしまった。
西口 啓氏著「統計学が最強の学問である」:ダイヤモンド社 である。
本書は、統計学の解説書と認識した。決してビッグデータの解説書ではない。
講演のとき、「え、こんなに若い人なの?」と思ったが、その通りのことを本人に言われて驚いた。同様に、私のように40年以上前に大学を卒業した人が「統計学」を敬遠したがる理由を言い当てられたように思う。要するに、難しい数式、要するに何を言っているのか分からないこと、騙されたような嫌な感じである。
本書では、統計学のこれまでの研究成果の全体像を解説することにより、全体像と向かう方向を見せてくれている。特に、統計学の理解が劇的に進む1枚の表、の節に示された、一般化線形モデルをまとめた1枚の表は、何度も戻って確認した。
本書を読んですぐに仕事に応用するのは難しいが、ビッグデータについて語るのなら、これくらい読んでおかなければ、と思わせる本である。1日で読めると思う。
posted by 石田厚子 at 15:24| Comment(0)
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