2013年12月13日

「プロデュース能力」遂に出会えた

8月に定年退職した会社では人材育成を担当していた。そこで何年も言われていたのが、「プロデューサー人材」が必要であるということだった。その要求は年ごとに高まっていたと思う。しかし、プロデューサーの定義も不明確なまま、育成策が見いだせずに(私としては)終わった。
独立してからも、プロデューサー人材の育成にはこだわり続けた。いくら高い技術を持っていても、一人では世の中の複雑な問題解決はできない。問題の本質をとらえ、複数の解決策の組み合わせで解決に導く能力を持ったプロデューサーが必要であることは疑うべくもない。そのような人材の育成に対するニーズはかなり多いのではないか。

遂に見つけたのが、この本である。何と2008年に出ている。
佐々木直彦著「プロデュース能力」(ビジョンを形にする問題解決の思考と行動):日本能率協会マネジメントセンター
私が購入したのは2013年2月に発行された第8刷である。購入したのは八重洲ブックセンターである。やはり、関心のある人は多いのだろう。

最初に出てきたのは、次の文章である。まさに私が求めていた定義である。

プロデュースとは
一つのビジョンのもとに、
人々の力を借りて「新しい何か」を創り出し、
現状を変えること

プロデューサ人材は、ビジョンを持たなければならず、それをもって人の力を借りなければならない。
それができるためにはどうするか。
ここで重要なのが、「プロデュース思考」である。これは、従来行われてきた「合理的問題解決思考」と対比させて示されている。私がなるほどと思った両者の違いは、判断基準である。すなわち、プロデュース思考では、その気になるかならないか、やってみるかやめておくか、が判断基準であるのに対し、合理的問題解決思考では、正しいか正しくないか、可能か不可能かが判断基準となる。もう一つの対比としてゴールがある。プロデュース思考のゴールは予期せぬ成果であるのに対し、合理的問題解決思考では予期される成果である。
技術進歩が速い一方で複雑な世の中の問題解決に必要なのがプロデュース思考であることがよくわかる。

プロデュース思考の鍵になる7つの質問がある。
(1)ビジョンは何か(自分は何をやりたいのか)
(2)なぜそのビジョンなのか(なぜ、それをやりたいのか)
(3)コアテーマは何か(突破口を開く鍵となるアイディアは何か)
(4)自分に何ができるか(自分の果たす役割は何か)
(5)誰に何をやってもらうか(誰にどんな役割を担ってもらうか)
(6)大義名分は何か(なぜこのプロデュースが必要か)
(7)付加価値は何か(どのような波及効果が生まれるか)

これらを理解するために、いくつかのCASEのストーリーが記述されている。これらがとても面白い。

さて、本書を参考にプロデューサー人材育成のカリキュラムを作るとしたらどうなるか。それをプロデュースしてみたい。

本書は、私の教科書として役立てたいと思う。
posted by 石田厚子 at 16:10| Comment(0) | 本を読む

2013年12月07日

「女たちのサバイバル作戦」に感じる違和感の理由

65歳で定年退職して自営(自由)業となったら、大学の同窓会とか会社の部長研修同窓会とか、飲み会や旅行会への参加が増えた。いずれも、男性ばかりの中の紅一点である。みなさん、それなりに出世して、一般的な見方をすれば功成り名を遂げた部類に入るのだろうが、出てくる話題は、飲んでいる薬の種類と量とか、手術をした報告とか・・・満身創痍でリタイアした(間近の)企業戦士という感じである。
私はと言えば、まだ薬のご厄介になっていない。痩せているので、思う存分飲んで食べることができる。宴会では、お隣さんの残した料理を「もったいない」とか言って食べてしまうことすらある。私はきっと企業戦士ではなかったのだろう。

先日、「女性技術者が生き生きと働くために考えること」をテーマにセミナーの講師として話をしたが、「女性」という言葉が全然出てこなかった、と参加された方から言われて驚いた。退職するまで、この手の話題で話をすることがなかったので、一般的な技術者のことしか頭になかったと気付いた。そこで、遅ればせながら、ジェンダーとかダイバーシティとか、少しは勉強しておこうと思い、この本を手に取った。

上野千鶴子著「女たちのサバイバル作戦」:文春新書 である。

いきなり上級コースに入ってしまってどうしよう、という感じである。歴史的な事実は初めて知ったことばかりで(それだけ私の意識が低かったということか)勉強になった。しかし、違和感がどうしてもぬぐえない。例えば、女女格差で女性が分断された、として、エリートキャリアとそうでない人たちを分けているが、前者を後者よりも上に見ている。私は、カテゴリー分けはできるが上下関係は無いと思う。さらに、大企業は男(おやじ)社会と決めつけているが、少なくとも私が勤めに出ていた最後の数年の間にかなり崩壊している。外資系と超日本型の大企業の違いが無くなってきている。

最後になって気づいた。「勝者」「敗者」の定義が私の感覚とずれていたのだ。
本書では、ざっくり言ってしまうと「勝者」は企業の中で出世して、高い給料や退職金をもらう人、であり、「敗者」は、出世とは関係なく、低い給料で同じような仕事を続けている人、としている。しかし、この見方はかなり偏ってはいないだろうか。
そもそも、人生を勝ち敗けで言うこと自体がおかしいのだが、本当の勝者とは、どれだけ世の中に価値を提供できたかで決まるのではないか。出世して管理職になり多くの人を動かしてビジネスをし、世の中に貢献する、というのであれば勝者になりうる。NPO法人を立ち上げて新興国の子供たちの教育をしている人たちだって勝者だろう。
派遣で働いて、ボランティア活動もしている人は敗者なのか。違うと思う。
高学歴で力がありながらそれを発揮することなくだらだら暮らしている人、会社内の地位ばかり気にして顧客を忘れている企業人、こういった人たちは敗者ではないのか。

本書の最初の部分の問い、「この40年の間に日本の女は生きやすくなったのでしょうか」の答えは私もイエス・アンド・ノー。男女問わず、これからは一人で生きていける力をたくわえなければならないこと、も同感である。

もっと柔軟なジェンダー論はないんだろうか。
posted by 石田厚子 at 16:25| Comment(0) | 本を読む

2013年12月01日

「ビジョナリー・ピープル」で成功について再再度考える

デニス・ウェイトリーの「成功の心理学」を読んだときから、自分の持っている能力をとことん追求して、それにより世の中に貢献できれば成功者になれるのだ、と確信できた。これを読む前、すなわち、退職前には、本音のところでは、高い地位、周りの賞賛、高い給与(金)が成功の証であり、自分はひょっとして成功者どころか負け組だったのではないか、と思うこともあった。しかし、退職して自営業になってからは、地位も賞賛も金も(本当に)どうでもよくなった。今の私の悩みは、自営業者としてまだ事業収入がゼロ、すなわち、世の中に貢献しようとあれこれ取り組んでいるのだが成果がないことである。

そんなとき、読んだのが、
ジェリー・ポラス、スチュアート・エメリー、マーク・トンプソン著「ビジョナリー・ピープル」:英治出版 である。
原書の題名が'Success Built to Last: Creating a Life that Matters'であることを知ったのは訳者の後書きを読んだときである。内容はこの原題の方が合っているが、これを日本語にするとやはり、メンタル・トレーニング的になってしまってまずいかもしれない。

最初の部分で、「改めて成功を定義する」という章を設け、一般的な成功の定義、すなわち、私が会社勤めしていたときに考えていたようなこと、からの脱却を述べている。それが出発点になっているので、多くの成功者の事例が生き生きと伝わってくる。
ビジョナリー・ピープル、すなわち本書の定義する成功した人の本質は、次の3点であることが述べられる。
1.意義(Meaning)
2.思考スタイル(Thought)
3.行動スタイル(Action)
これらのうちの、「意義」が全ての出発点だと思われるが、成功した人のその強さと深さは並大抵ではない。さらに、意義だけでなく、思考、行動に結びつかなければ、本当に成功者にはなれない。

地位も名誉も金も関係なくなった私にとって、現在の仕事で成功するためには、強い思いとそれを実現するための思考、行動がまだまだ不足であると感じさせられた。

私なりの成功を追求していかなければ。
posted by 石田厚子 at 16:34| Comment(0) | 本を読む