私はフェースブック(FB)、ツイッター、LINEのいずれもやっていない。唯一SNSと言われるものでやっているのはリンクトインだが、日本ではそれほどポピュラーではないので、つながる人はちっとも増えない。たまに、ヘッドハンターのような人から英文のメールが届くが、自分の英語力でビジネスができるとは到底思えないので返事が出せないでいる。
HPを作り、ブログは書いているのにSNSに踏み出せないのは、見ず知らずの人と安易につながるのが怖いからである。若い人が犠牲になる陰惨な事件でも、「FBで知り合い・・・」「LINEのやりとりでトラブルになり・・・」などと、危険を感じることばかりが目に入ってくる。細々と参加しているリンクトインですら、国際的に有名な詐欺メールが入ってくることが一度ならずあった。
翻訳本が出てから7年近く経つ、ダニエル・ゴールマン著「SQ 生き方の知能指数」:日本経済新聞社 を先月購入し、時間がかかったがようやく読み終えた。
原題は、Social Intelligence: The New Science of Human Relationships である。
人間関係を脳科学的に論じ、健全なつながりの構築のしかたを示唆している。脳科学は日々進歩しているので、ここに書かれている科学的な内容は将来覆るかもしれないが、人と人のつながりによる脳の反応、心の動き、行動などについて、なるほどと納得できる内容である。
同じソーシャルでもSQとSNSとは対極にあるように思える。アナログとデジタルのように。
ちょっと違った視点でSQについて考えてみた。コンピュータによって仕事が奪われていく時代の人間にしかできない仕事とはどのようなものだろうか、という問いについてである。
仕事の生産性が叫ばれるようになったのは、高度成長の時期(つまり、私が最初に就職したころ)からだろうか。製造業の生産性を上げるために機械化を推し進め、さらに、ホワイトカラーの生産性向上を目指して、コンピュータが導入された。
生産性を上げる一番良い方法は、標準化、部品化、再利用(コピペ)である。さらには、できるだけ独立して相互作用のないものがよい部品、とされている。
ソフトウエア・パッケージもベンダーは「手離れが良いもの」を作ろうとする。つまり、売った後、顧客との接触が少なくてよいものが、トータルな生産性を向上させるという考えである。
標準化され、部品化されるものは、いずれは機械化される。つまり、人間の仕事ではなくなる。突き詰めれば、人は仕事を失うために生産性向上を推し進めてきたことになる。
機械化が進んで最後に残るのは、人間関係、SQでいうソーシャルになる。生産性を落とすと嫌っていたアナログの方のソーシャルである。
相手に寄り添い、共感し、良い関係を築く、という時間のかかる仕事が最後に残る。これはコンピュータにはなかなかできまい。
2013年10月11日
「SQ 生き方の知能指数」でこれからの仕事の在り方を考える
posted by 石田厚子 at 13:16| Comment(0)
| 本を読む
2013年10月04日
「ビッグデータ」:私の理解は違っていた?
1か月前までIT系のコンサルティングを生業にしている会社に勤めていたので、「ビッグデータ」という言葉は耳にタコができるほど聞いていた。私の仕事は人材育成だったので、データサイエンティストをどう育てるか、などをよく議論していた。
その意味では、復習のつもりで手にとった本であるが、読むうちに、ひょっとして私の理解が間違っていたのかもしれない、と思うことが出てきた。
本書は、ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ 著「ビッグデータの正体」(情報の産業革命が世界のすべてを変える):講談社 である。
早速、私が頭の切り替えを求められたのは、ビッグデータによる「3つの大変化」というものである。
第1の変化「すべてのデータを扱う」:大量のデータを扱う、とは思っていたが、「すべての」と言い切られたとき、なるほど、そう考えるべきなのか、と納得した。
第2の変化「精度は重要ではない」(量は質を凌駕する):コンピュータによる翻訳の例が、まったく違った世界に入ったことを納得させてくれた。
第3の変化「因果から相関の世界へ」(答えが分かれば、理由は要らない):これは目からうろこが落ちた。と同時に、本当か?と疑問にも思った。
コンサルタントの育成カリキュラムでは、「仮説思考」「ロジカルシンキング」などが定番になっている。まず仮説を立ててデータを集め検証を行う。仮説が違っていたら別の仮説を立ててデータを集めて・・・
としきりに教えてきたものだ。
さらに、クライアントへの提言はロジカルに、納得してもらえるように説明すべきである、とプレゼンテーションの訓練を行ってきた。
ビッグデータの世界では、とにかく、乱雑なデータであっても全部のデータを集めて分析して、結果を出す。結果に対しては因果関係など調べる必要はない。
でも、ビッグデータを使ってビジネスを変えていこうとしている経営者は、「答えが分かれば、理由は要らない」で納得するのだろうか。人間は何らかの理由づけを求めるものではないのか。
すべてのデータを放り込んで最先端のコンピュータ・システムで分析して出たものだから、水晶玉を見つめて出た結果とは違う、ということなんだろうけれど、いまひとつ腑に落ちない。
いずれにしても、ビッグデータが新しいイノベーションの鍵を握っていることだけは、多くの事例を通じて分かった。
私も頭を切り替える必要がありそうである。
その意味では、復習のつもりで手にとった本であるが、読むうちに、ひょっとして私の理解が間違っていたのかもしれない、と思うことが出てきた。
本書は、ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ 著「ビッグデータの正体」(情報の産業革命が世界のすべてを変える):講談社 である。
早速、私が頭の切り替えを求められたのは、ビッグデータによる「3つの大変化」というものである。
第1の変化「すべてのデータを扱う」:大量のデータを扱う、とは思っていたが、「すべての」と言い切られたとき、なるほど、そう考えるべきなのか、と納得した。
第2の変化「精度は重要ではない」(量は質を凌駕する):コンピュータによる翻訳の例が、まったく違った世界に入ったことを納得させてくれた。
第3の変化「因果から相関の世界へ」(答えが分かれば、理由は要らない):これは目からうろこが落ちた。と同時に、本当か?と疑問にも思った。
コンサルタントの育成カリキュラムでは、「仮説思考」「ロジカルシンキング」などが定番になっている。まず仮説を立ててデータを集め検証を行う。仮説が違っていたら別の仮説を立ててデータを集めて・・・
としきりに教えてきたものだ。
さらに、クライアントへの提言はロジカルに、納得してもらえるように説明すべきである、とプレゼンテーションの訓練を行ってきた。
ビッグデータの世界では、とにかく、乱雑なデータであっても全部のデータを集めて分析して、結果を出す。結果に対しては因果関係など調べる必要はない。
でも、ビッグデータを使ってビジネスを変えていこうとしている経営者は、「答えが分かれば、理由は要らない」で納得するのだろうか。人間は何らかの理由づけを求めるものではないのか。
すべてのデータを放り込んで最先端のコンピュータ・システムで分析して出たものだから、水晶玉を見つめて出た結果とは違う、ということなんだろうけれど、いまひとつ腑に落ちない。
いずれにしても、ビッグデータが新しいイノベーションの鍵を握っていることだけは、多くの事例を通じて分かった。
私も頭を切り替える必要がありそうである。
posted by 石田厚子 at 16:28| Comment(0)
| 本を読む
2013年10月02日
「ストラテジック・イノベーション」って本当?
65歳で最後の会社を退職して1か月以上経った。インプットばかりでアウトプットは全く無かったような。気持ちを入れ替えて、アウトプットできるように努力しよう。
退職間際に、これまでの40年+αのことを若い人たちに話すことがあった。ずっと同じ会社に勤め続けていたわけではなく、色々な職場を転々としたことなど、最近人に話すことは殆どなかったし、もう最後なのだからと、つい調子に乗ってしゃべった。
その中で、若い人の反応に「ん?」と思うことがあった。
例えば、「子供を抱えて仕事が無くなりそうだったとき、何とか自立するのによい資格はないものか、と考え抜いて”技術士”にたどりついた。かつて勤めていた会社の名前しか知らない大先輩に手紙を書いて受験の仕方について教えを乞い、さらに、新たな仕事を紹介してもらった。」という話をしたときに、「戦略的にキャリアを積んで来たんですね。」と言われたことである。
これのどこが「戦略的」なんだろうか。手紙を差し上げた大先輩がここまで親身になって下さるなんて予想もしていなかった。
私のかつての行動は、いずれも「戦略的」からほど遠く、ただ、もがきながら必死でがんばっていただけなのだ。結果として、それが良い方向に転がることはあったのだが、大抵、想定外の出来事だった。
今日の本は、ビジャイ・ゴビンダジャラン、クリス・トリンブル 著「ストラテジック・イノベーション」(戦略的イノベーターに捧げる10の提言):翔泳社 である。
本のタイトル自体にも惹かれたが、購入のきっかけは、著者のビジャイ・ゴビンダジャランの「リバース・イノベーション」が印象深かったので、同じように面白い視点があるのでは、と興味を持ったことである。
大企業で新規事業を起こして発展させるというイノベーションを戦略的にどう実現していくか、を新規事業部門と既存事業部門の関係を中心に論じている。内容的には「そうだろうな」と納得できるのだが、実際に行うのはかなり難しいのではないか、とも思う。
要は、私自身が大企業における新規事業開発、展開からはかなり距離があるので、あまり響かなかったのかもしれない。
イノベーションはValue Creationを中心に語られることが多いが、Value Capturingの方がずっと大変である、という主張もされている。でも、それって、ずいぶん前から言われていることなのではないのか。
やはり、ここでも、「戦略的」にひっかかってしまった。
本当に、戦略的なイノベーションてあるのだろうか?
退職間際に、これまでの40年+αのことを若い人たちに話すことがあった。ずっと同じ会社に勤め続けていたわけではなく、色々な職場を転々としたことなど、最近人に話すことは殆どなかったし、もう最後なのだからと、つい調子に乗ってしゃべった。
その中で、若い人の反応に「ん?」と思うことがあった。
例えば、「子供を抱えて仕事が無くなりそうだったとき、何とか自立するのによい資格はないものか、と考え抜いて”技術士”にたどりついた。かつて勤めていた会社の名前しか知らない大先輩に手紙を書いて受験の仕方について教えを乞い、さらに、新たな仕事を紹介してもらった。」という話をしたときに、「戦略的にキャリアを積んで来たんですね。」と言われたことである。
これのどこが「戦略的」なんだろうか。手紙を差し上げた大先輩がここまで親身になって下さるなんて予想もしていなかった。
私のかつての行動は、いずれも「戦略的」からほど遠く、ただ、もがきながら必死でがんばっていただけなのだ。結果として、それが良い方向に転がることはあったのだが、大抵、想定外の出来事だった。
今日の本は、ビジャイ・ゴビンダジャラン、クリス・トリンブル 著「ストラテジック・イノベーション」(戦略的イノベーターに捧げる10の提言):翔泳社 である。
本のタイトル自体にも惹かれたが、購入のきっかけは、著者のビジャイ・ゴビンダジャランの「リバース・イノベーション」が印象深かったので、同じように面白い視点があるのでは、と興味を持ったことである。
大企業で新規事業を起こして発展させるというイノベーションを戦略的にどう実現していくか、を新規事業部門と既存事業部門の関係を中心に論じている。内容的には「そうだろうな」と納得できるのだが、実際に行うのはかなり難しいのではないか、とも思う。
要は、私自身が大企業における新規事業開発、展開からはかなり距離があるので、あまり響かなかったのかもしれない。
イノベーションはValue Creationを中心に語られることが多いが、Value Capturingの方がずっと大変である、という主張もされている。でも、それって、ずいぶん前から言われていることなのではないのか。
やはり、ここでも、「戦略的」にひっかかってしまった。
本当に、戦略的なイノベーションてあるのだろうか?
posted by 石田厚子 at 18:01| Comment(0)
| 本を読む