2013年10月20日

「MAKERS」はまだ夢物語か?

娘の結婚式で留袖を着ることになった。36年前に実家で仕立ててもらい、結婚のときに持たせて貰ったものをようやく着る機会ができたと喜んだものの、着物に関する知識は皆無。事情があって高齢の母親に尋ねることもできない。
箪笥の中を探ると、一度も袖を通したことのない着物が続々と現れた。帯や帯締めも。どれとどれを組み合わせればよいのか。まして、結婚式での正装なので、間違えたら親戚中の笑いものである。頼れるのはネットしかない。
着物の種類、帯の種類から始まって、正装での小物に至るまで知識を得、無いものは注文し、恥をかくことなく結婚式で留袖を着ることができた。
何より、一度も袖を通したことのない留袖の裏地(胴裏)が茶色のシミだらけになっていたのにはショックだったが、昔の正絹では避けられないことと知った。京都の仕立て屋に胴裏用の正絹の布地(抗菌、防カビ加工)を注文するとともに胴裏の付け替えを依頼した。すべて、メールのやりとりと宅配便で事が済んだ。しかもびっくりするくらい安かった。
現代は、知識がなくても、技術がなくても、それらを持つ人たちの力を借りることで目的が達成できるのだ。

遅ればせながら、クリス・アンダーソン著「MAKERS」(21世紀の産業革命が始まる):NHK出版 を読んだ。
たまたま、3Dプリンタの実演を見たことがきっかけで、本書にも手を出したというところである。
留袖の胴裏の付け替えどころではない大がかりなものづくりが対象ではあるが、基本は同じとみた。それにしても、ここにある事例だけで、21世紀の産業革命、と言うのは行き過ぎではないか、というのが正直な感想である。
現在95歳の父は電子顕微鏡の技術者で、とても器用な人だが、21世紀の現代に20代、30代の若者だったとして、自力で電子顕微鏡が作れるだろうか。自力で人工衛星が飛ばせるだろうか。新幹線が走らせられるだろうか。
ものづくりには、色々なレベルがある。精密さのレベル、品質のレベル、様々である。MAKERSで示されているのは、まだ趣味の世界ではないのか。それが産業革命と言えるまでには道は遠いように思える。

もちろん、技術の進歩は速いので、今よりももっと本格的なものづくりが世界中の知恵を集めてあっという間にできる、ということは考えられる。でも、その「もの」が何なのか、は別である。

私がデモを見た、中小企業や個人企業でも買えそうな3Dプリンタは、小さな動物のモデルを創り出すのに数時間もかかるという。まだおもちゃしか作れないレベルにしか見えなかった。本書が出てから1年以上経つがそれほど進歩したようにも思えない。さらに何か別の力が必要かもしれない。
posted by 石田厚子 at 09:42| Comment(0) | 本を読む

2013年10月15日

「アグリゲーター」で働き方と人財について考える

最後に勤めた会社では7年間、人材育成に携わっていた。ビジネス環境の変化から新たな人材が求められている、ということは実感していた。どんな人か、というと、目的のために必要なリソースを集め、組み合わせ、調整し、目的を達成できる人である。プロデューサー、という呼称が一番近い。
こういった人は、視野が広く、ひとつの専門に特化せずに複数の専門性を持ち、しかも、市場を見ることができ、まわりを納得させられるコミュニケーション能力にも長けていることが求められる。現代のスーパーマンである。
このような資質は、IDEOのような会社で働くイノベーションを起こせる人たちや、今はやりのデータサイエンティストにもあてはまる。要するに、もう10年以上前から求められてきた人材像である。そして、どう育成するか(そもそも育成できるのか)が大きな課題になっているのが実態である。

一方、働き方にも変化が求められている。こちらは、『ワークシフト』に代表されるような多くの書籍で提案されている。ひとつの組織に所属するのではなく、目的に応じて働き方、働く場所を自由に変えられるというものである。

柴沼俊一、瀬川明秀 著「知られざる職種 アグリゲーター」(5年後に主役になる働き方):日経BP社 は、アグリケーターという言葉に惹かれて読んでみた。

本書で主張しようとしたことは、これまで別々に論じられてきた「これからの人材像」と「これからの働き方」を一緒に考えるというものであろう。これは意味のあることである。
本書でアグリゲーターと呼ばれる人財は、最初に述べたプロデューサーと違いがあるとは思えない。10年以上前からどこでも求めていた人財なので、企業によって呼称が違うだけ、と認識した。
働き方についても、『ワークシフト』で述べられている以上のことが述べられているとは思えない。例に挙げられている席を固定しないフリーアクセスのオフィスなども大企業では10年近く前から実施されていることである。(それでもビジネスに大きな変化が起きたようには見えないが。)

それで、両者を結びつけてどう論じられるのか、と期待したのだが、最後まで将来をイメージすることができなかった。
アグリゲーターの例として孫正義氏などの経営者が何人か挙げられているが、経営者なら目的に向かって必要なリソースを集めることができるだろうと想像できるものの、一般の人がアグリゲーターになってどう行動すれば目的が達成できるのか、がイメージできないのである。
新しい働き方との結びつきも具体的なイメージが得られない。だれからどうやって仕事を得、利益はどう配分されるのか、とそこまで考えてしまう。
これまでもアグリゲーター的な思考を持った人には出会ったことがあるが、思いだけはあるものの組織を動かすだけの行動には結びつかなかった。こういった人たちをどうマネジメントすればよいのだろうか。

むしろこれから必要なのは、一握りのアグリゲーター(多分経営者に近い)と、多くのスペシャリスト(彼らは流動的に働く場を変えられる)と、それらをマネジメントする組織の三者ではないだろうか。多くのスペシャリストの中から一握りのアグリゲーターが生まれる、あるいは育てられる。いずれにしても、雇用、人材育成にかかわるマネジメント組織は必要である。
posted by 石田厚子 at 10:04| Comment(0) | 本を読む

2013年10月12日

「経営センスの論理」で具体と抽象の教育を考える

ITPro EXPO 2013に参加してきた。5つの講演をぶっ続けで聴いたのだが、いずれも名の通った方々であり、話はとても面白いものばかりだった。ただし、各講演は40分なので、理解できたつもりでも、表面をなでただけの感覚は否めなかった。

一つの講演が、「ストーリーとしての競争戦略」の著者の楠木建氏(一橋大学教授)であった。この本は何度も読んだのだが、退職時に会社の図書室に寄付してしまい、今はない。話は面白く、納得性もあったのだが、何となく物足りなくて(じっくりものを考える、ということからは程遠かったので)、帰りに行きつけの書店(ジュンク堂)で、著書を買ってきた。それが、
楠木 建 著「経営センスの論理」:新潮新書 である。

全部で5章あるうちの最初の1章は、講演の内容とほぼ同じ。ついでに言えば、東洋経済オンラインで書かれていることも一部かさなっている。多分、色々な場で話したり書いたりされているのだろう。

中でも、私が好きなのは、「ビジネスの根本原則は自由意志だ」という点である。これはU理論のプレゼン寝具にもつながるのだが、「こうしよう」という強い思いが経営層から末端までいきわたっていなければ経営は成功しないだろう。ところが、「生き残りのためグローバル化せざるを得ない」と幹部から言われて頭を抱えている技術者を何人も見かけた。結局、悪いのは世の中、ということで責任転嫁し、被害者意識の塊になるのがおちである。

本書の中心を流れる、「スキルだけでは経営はできない。センスが必要である。」において、それではセンスはどうやって身に着けるのか、については、人材育成を生業とするものにとって大きな課題である。
しかし、最後に出てくる、「アタマの良い人は具体と抽象の往復を、振れ幅を大きく、頻繁に行う。」にヒントがありそうである。
抽象化の概念は教わって身につくものではなく経験の中から身に付くもの。具体的なものをイメージできるのも経験あってこそ。仕事の中のOJTと体験的なワークショップなどの研修で磨くことは挑戦してよいのではないか。
posted by 石田厚子 at 10:03| Comment(0) | 本を読む