2013年10月04日

「ビッグデータ」:私の理解は違っていた?

1か月前までIT系のコンサルティングを生業にしている会社に勤めていたので、「ビッグデータ」という言葉は耳にタコができるほど聞いていた。私の仕事は人材育成だったので、データサイエンティストをどう育てるか、などをよく議論していた。
その意味では、復習のつもりで手にとった本であるが、読むうちに、ひょっとして私の理解が間違っていたのかもしれない、と思うことが出てきた。

本書は、ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ 著「ビッグデータの正体」(情報の産業革命が世界のすべてを変える):講談社 である。

早速、私が頭の切り替えを求められたのは、ビッグデータによる「3つの大変化」というものである。

第1の変化「すべてのデータを扱う」:大量のデータを扱う、とは思っていたが、「すべての」と言い切られたとき、なるほど、そう考えるべきなのか、と納得した。

第2の変化「精度は重要ではない」(量は質を凌駕する):コンピュータによる翻訳の例が、まったく違った世界に入ったことを納得させてくれた。

第3の変化「因果から相関の世界へ」(答えが分かれば、理由は要らない):これは目からうろこが落ちた。と同時に、本当か?と疑問にも思った。

コンサルタントの育成カリキュラムでは、「仮説思考」「ロジカルシンキング」などが定番になっている。まず仮説を立ててデータを集め検証を行う。仮説が違っていたら別の仮説を立ててデータを集めて・・・
としきりに教えてきたものだ。
さらに、クライアントへの提言はロジカルに、納得してもらえるように説明すべきである、とプレゼンテーションの訓練を行ってきた。
ビッグデータの世界では、とにかく、乱雑なデータであっても全部のデータを集めて分析して、結果を出す。結果に対しては因果関係など調べる必要はない。

でも、ビッグデータを使ってビジネスを変えていこうとしている経営者は、「答えが分かれば、理由は要らない」で納得するのだろうか。人間は何らかの理由づけを求めるものではないのか。

すべてのデータを放り込んで最先端のコンピュータ・システムで分析して出たものだから、水晶玉を見つめて出た結果とは違う、ということなんだろうけれど、いまひとつ腑に落ちない。

いずれにしても、ビッグデータが新しいイノベーションの鍵を握っていることだけは、多くの事例を通じて分かった。
私も頭を切り替える必要がありそうである。
posted by 石田厚子 at 16:28| Comment(0) | 本を読む