2013年10月15日

「アグリゲーター」で働き方と人財について考える

最後に勤めた会社では7年間、人材育成に携わっていた。ビジネス環境の変化から新たな人材が求められている、ということは実感していた。どんな人か、というと、目的のために必要なリソースを集め、組み合わせ、調整し、目的を達成できる人である。プロデューサー、という呼称が一番近い。
こういった人は、視野が広く、ひとつの専門に特化せずに複数の専門性を持ち、しかも、市場を見ることができ、まわりを納得させられるコミュニケーション能力にも長けていることが求められる。現代のスーパーマンである。
このような資質は、IDEOのような会社で働くイノベーションを起こせる人たちや、今はやりのデータサイエンティストにもあてはまる。要するに、もう10年以上前から求められてきた人材像である。そして、どう育成するか(そもそも育成できるのか)が大きな課題になっているのが実態である。

一方、働き方にも変化が求められている。こちらは、『ワークシフト』に代表されるような多くの書籍で提案されている。ひとつの組織に所属するのではなく、目的に応じて働き方、働く場所を自由に変えられるというものである。

柴沼俊一、瀬川明秀 著「知られざる職種 アグリゲーター」(5年後に主役になる働き方):日経BP社 は、アグリケーターという言葉に惹かれて読んでみた。

本書で主張しようとしたことは、これまで別々に論じられてきた「これからの人材像」と「これからの働き方」を一緒に考えるというものであろう。これは意味のあることである。
本書でアグリゲーターと呼ばれる人財は、最初に述べたプロデューサーと違いがあるとは思えない。10年以上前からどこでも求めていた人財なので、企業によって呼称が違うだけ、と認識した。
働き方についても、『ワークシフト』で述べられている以上のことが述べられているとは思えない。例に挙げられている席を固定しないフリーアクセスのオフィスなども大企業では10年近く前から実施されていることである。(それでもビジネスに大きな変化が起きたようには見えないが。)

それで、両者を結びつけてどう論じられるのか、と期待したのだが、最後まで将来をイメージすることができなかった。
アグリゲーターの例として孫正義氏などの経営者が何人か挙げられているが、経営者なら目的に向かって必要なリソースを集めることができるだろうと想像できるものの、一般の人がアグリゲーターになってどう行動すれば目的が達成できるのか、がイメージできないのである。
新しい働き方との結びつきも具体的なイメージが得られない。だれからどうやって仕事を得、利益はどう配分されるのか、とそこまで考えてしまう。
これまでもアグリゲーター的な思考を持った人には出会ったことがあるが、思いだけはあるものの組織を動かすだけの行動には結びつかなかった。こういった人たちをどうマネジメントすればよいのだろうか。

むしろこれから必要なのは、一握りのアグリゲーター(多分経営者に近い)と、多くのスペシャリスト(彼らは流動的に働く場を変えられる)と、それらをマネジメントする組織の三者ではないだろうか。多くのスペシャリストの中から一握りのアグリゲーターが生まれる、あるいは育てられる。いずれにしても、雇用、人材育成にかかわるマネジメント組織は必要である。
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2013年10月12日

「経営センスの論理」で具体と抽象の教育を考える

ITPro EXPO 2013に参加してきた。5つの講演をぶっ続けで聴いたのだが、いずれも名の通った方々であり、話はとても面白いものばかりだった。ただし、各講演は40分なので、理解できたつもりでも、表面をなでただけの感覚は否めなかった。

一つの講演が、「ストーリーとしての競争戦略」の著者の楠木建氏(一橋大学教授)であった。この本は何度も読んだのだが、退職時に会社の図書室に寄付してしまい、今はない。話は面白く、納得性もあったのだが、何となく物足りなくて(じっくりものを考える、ということからは程遠かったので)、帰りに行きつけの書店(ジュンク堂)で、著書を買ってきた。それが、
楠木 建 著「経営センスの論理」:新潮新書 である。

全部で5章あるうちの最初の1章は、講演の内容とほぼ同じ。ついでに言えば、東洋経済オンラインで書かれていることも一部かさなっている。多分、色々な場で話したり書いたりされているのだろう。

中でも、私が好きなのは、「ビジネスの根本原則は自由意志だ」という点である。これはU理論のプレゼン寝具にもつながるのだが、「こうしよう」という強い思いが経営層から末端までいきわたっていなければ経営は成功しないだろう。ところが、「生き残りのためグローバル化せざるを得ない」と幹部から言われて頭を抱えている技術者を何人も見かけた。結局、悪いのは世の中、ということで責任転嫁し、被害者意識の塊になるのがおちである。

本書の中心を流れる、「スキルだけでは経営はできない。センスが必要である。」において、それではセンスはどうやって身に着けるのか、については、人材育成を生業とするものにとって大きな課題である。
しかし、最後に出てくる、「アタマの良い人は具体と抽象の往復を、振れ幅を大きく、頻繁に行う。」にヒントがありそうである。
抽象化の概念は教わって身につくものではなく経験の中から身に付くもの。具体的なものをイメージできるのも経験あってこそ。仕事の中のOJTと体験的なワークショップなどの研修で磨くことは挑戦してよいのではないか。
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2013年10月11日

「SQ 生き方の知能指数」でこれからの仕事の在り方を考える

私はフェースブック(FB)、ツイッター、LINEのいずれもやっていない。唯一SNSと言われるものでやっているのはリンクトインだが、日本ではそれほどポピュラーではないので、つながる人はちっとも増えない。たまに、ヘッドハンターのような人から英文のメールが届くが、自分の英語力でビジネスができるとは到底思えないので返事が出せないでいる。
HPを作り、ブログは書いているのにSNSに踏み出せないのは、見ず知らずの人と安易につながるのが怖いからである。若い人が犠牲になる陰惨な事件でも、「FBで知り合い・・・」「LINEのやりとりでトラブルになり・・・」などと、危険を感じることばかりが目に入ってくる。細々と参加しているリンクトインですら、国際的に有名な詐欺メールが入ってくることが一度ならずあった。

翻訳本が出てから7年近く経つ、ダニエル・ゴールマン著「SQ 生き方の知能指数」:日本経済新聞社 を先月購入し、時間がかかったがようやく読み終えた。
原題は、Social Intelligence: The New Science of Human Relationships である。
人間関係を脳科学的に論じ、健全なつながりの構築のしかたを示唆している。脳科学は日々進歩しているので、ここに書かれている科学的な内容は将来覆るかもしれないが、人と人のつながりによる脳の反応、心の動き、行動などについて、なるほどと納得できる内容である。
同じソーシャルでもSQとSNSとは対極にあるように思える。アナログとデジタルのように。

ちょっと違った視点でSQについて考えてみた。コンピュータによって仕事が奪われていく時代の人間にしかできない仕事とはどのようなものだろうか、という問いについてである。

仕事の生産性が叫ばれるようになったのは、高度成長の時期(つまり、私が最初に就職したころ)からだろうか。製造業の生産性を上げるために機械化を推し進め、さらに、ホワイトカラーの生産性向上を目指して、コンピュータが導入された。
生産性を上げる一番良い方法は、標準化、部品化、再利用(コピペ)である。さらには、できるだけ独立して相互作用のないものがよい部品、とされている。
ソフトウエア・パッケージもベンダーは「手離れが良いもの」を作ろうとする。つまり、売った後、顧客との接触が少なくてよいものが、トータルな生産性を向上させるという考えである。
標準化され、部品化されるものは、いずれは機械化される。つまり、人間の仕事ではなくなる。突き詰めれば、人は仕事を失うために生産性向上を推し進めてきたことになる。

機械化が進んで最後に残るのは、人間関係、SQでいうソーシャルになる。生産性を落とすと嫌っていたアナログの方のソーシャルである。
相手に寄り添い、共感し、良い関係を築く、という時間のかかる仕事が最後に残る。これはコンピュータにはなかなかできまい。

posted by 石田厚子 at 13:16| Comment(0) | 本を読む