2013年10月24日

「人を動かす新たな3原則」で力を得た

私は、一般には、大企業で定年まで勤め上げた人、と見られている。しかし、実は、28歳から42歳までの14年間は、非正規雇用、自営業(フリーター?)などで数か所の職場、仕事を転々としていた。その間2人の子供を産んだが、一度も産休、育休は取ったことがない。(そのような環境にはなかった)この時期を、「孤独なキャリア形成の時期」と呼んでいる。
この間、必死で技術力向上のための努力をし、自分を売り込んできた。この時期がなければその後、大企業でITコンサルタント、企画部長、コンサルタントの育成など勤めあげることはできなかったと思う。そして、この時期こそが、自分が技術者からセールス・パーソンに生まれ変われたときだと思う。

ダニエル・ピンク著「人を動かす新たな3原則」(売らないセールスで、誰もが成功する):講談社
は、セールスという言葉にひっかかって購入したように思う。読み始めてすぐにはまってしまった。

最初に、「現代人は誰でもセールスに関わっている」という章が設けられているが、私にとってはもう30年以上前に気づいていたことである。だから、早く先に行きたい、とページをめくり続けた。

中心にあるのが、セールスに必要な特質:同調、浮揚力、明確性、そして、セールスに必要なスキル:ピッチ、インプロ、奉仕、についての記述である。これらは、各々の読み手が自分の関心事や経験に応じて捉え方は異なるかもしれないが、取り入れることができると思う。事例は分かりやすい。

私が感銘を受けたのが次の点である。
8年前、「高い顧客満足を得る商品開発への影響要因とその制御」という論文で工学博士の学位を得た。その論文で主張したことは、商品(製品やサービス)の提供者は、顧客に対して商品の良い点も悪い点も含めた情報提供をすることにより、最終的には高い顧客満足につながり、継続して顧客であり続ける可能性ができる、ということである。それを、学生を使った実験の結果を分析して示した。
このときは、インターネットは一般消費者に今ほど普及しておらず、SNSもなかったので、情報は企業から提供しない限り(特に先端的な商品は)ユーザには伝わらなかった。現代は、ユーザ自身が情報を収集し、商品提供企業と同等の知識を持って購入意思決定をすることができる。本書では、それを、
「買い主は気をつけよ」から「売り主は気をつけよ」へ
として論じている。
私が8年以上前に主張していたことは間違いなかったと、心の中で密かに拍手を送ったのである。
posted by 石田厚子 at 15:01| Comment(0) | 本を読む

2013年10月22日

「USERS」でユーザーとは何か考えてみた

偶然とはいえ、「MAKERS」という本と一緒に買ったのが「USERS」で、思わず笑ってしまった。家に帰って初めて気づいたのもおかしい。

アーロン・シャピロ著「USERS」(顧客主義の終焉と企業の命運を左右する7つの戦略」:翔泳社 である。サブタイトルが物々しいのに加えて、ご丁寧にも、USERSの文字の上にNOT CUSTOMERSと書いてある。
ここで、はたと気づいた。「顧客」は通常Customerである。「消費者」はConsumerである。ではUserとは一体何だったっけ。

本書では、ユーザーを、顧客、従業員、求職者、見込み客、パートナー、ブランドのファン、メディアのメンバー、その他影響力を持った人々、と定義している。デジタル・メデイアとテクノロジーを通して企業と交流する人々とのことである。
これは、インターネットを介したデジタル社会を前提とした、顧客を含む広い概念なのだ。そして、これらの多くの人々を満足させなければ、これからの企業は成り立たない、という警告を発しているのだ。

たまたま、並行してマッキンゼーのサイトで、"How retailers can keep up with consumers" という、今月のレポートを読んでいた。これが、内容的にとても近いもので、どちらに書かれていたことだったっけ、と考えてしまうほど似ている。要するに、デジタル世界に対応したビジネスに変えていかなければ生き延びられない、やるなら今でしょ、というものなのである。

本書は2011年に書かれたものであるが、監訳者(萩原雅之氏)が「当時ホットな話題になったブランドやサービスが中心だが古さは全く感じさせない。」と言われているが、マッキンゼーのレポートを読んで納得した。

最も考えさせられた部分は、「なぜ多くの似たような製品が、同時にローンチされるのか?」というところである。多くの人たちが同じようなアイディアを持っていて、技術的に実現可能になったとたんに製品として世に出すからだ。そして、早すぎても、遅すぎてもいけない。では、どの中で抜きんでるのは誰か。
本書では、最も可能性の高いのは「一番初めに素晴らしいユーザー体験を提供した商品」を出すこと、と言っている。
多分、それも一瞬のことだろう。時の流れとともに技術も進歩し、新しいアイディアが製品化され、新しい体験にユーザーは飛びついて行く。ユーザー中心主義は、常に走り続けなければならないということか。
posted by 石田厚子 at 18:34| Comment(0) | 本を読む

2013年10月20日

「MAKERS」はまだ夢物語か?

娘の結婚式で留袖を着ることになった。36年前に実家で仕立ててもらい、結婚のときに持たせて貰ったものをようやく着る機会ができたと喜んだものの、着物に関する知識は皆無。事情があって高齢の母親に尋ねることもできない。
箪笥の中を探ると、一度も袖を通したことのない着物が続々と現れた。帯や帯締めも。どれとどれを組み合わせればよいのか。まして、結婚式での正装なので、間違えたら親戚中の笑いものである。頼れるのはネットしかない。
着物の種類、帯の種類から始まって、正装での小物に至るまで知識を得、無いものは注文し、恥をかくことなく結婚式で留袖を着ることができた。
何より、一度も袖を通したことのない留袖の裏地(胴裏)が茶色のシミだらけになっていたのにはショックだったが、昔の正絹では避けられないことと知った。京都の仕立て屋に胴裏用の正絹の布地(抗菌、防カビ加工)を注文するとともに胴裏の付け替えを依頼した。すべて、メールのやりとりと宅配便で事が済んだ。しかもびっくりするくらい安かった。
現代は、知識がなくても、技術がなくても、それらを持つ人たちの力を借りることで目的が達成できるのだ。

遅ればせながら、クリス・アンダーソン著「MAKERS」(21世紀の産業革命が始まる):NHK出版 を読んだ。
たまたま、3Dプリンタの実演を見たことがきっかけで、本書にも手を出したというところである。
留袖の胴裏の付け替えどころではない大がかりなものづくりが対象ではあるが、基本は同じとみた。それにしても、ここにある事例だけで、21世紀の産業革命、と言うのは行き過ぎではないか、というのが正直な感想である。
現在95歳の父は電子顕微鏡の技術者で、とても器用な人だが、21世紀の現代に20代、30代の若者だったとして、自力で電子顕微鏡が作れるだろうか。自力で人工衛星が飛ばせるだろうか。新幹線が走らせられるだろうか。
ものづくりには、色々なレベルがある。精密さのレベル、品質のレベル、様々である。MAKERSで示されているのは、まだ趣味の世界ではないのか。それが産業革命と言えるまでには道は遠いように思える。

もちろん、技術の進歩は速いので、今よりももっと本格的なものづくりが世界中の知恵を集めてあっという間にできる、ということは考えられる。でも、その「もの」が何なのか、は別である。

私がデモを見た、中小企業や個人企業でも買えそうな3Dプリンタは、小さな動物のモデルを創り出すのに数時間もかかるという。まだおもちゃしか作れないレベルにしか見えなかった。本書が出てから1年以上経つがそれほど進歩したようにも思えない。さらに何か別の力が必要かもしれない。
posted by 石田厚子 at 09:42| Comment(0) | 本を読む