欧米人は高い受講料を払ってもセミナーに行くが、日本人は無料セミナーであってもなかなか行かない、とどこかで読んだ気がする。私など、まさに典型的日本人で、退職して時間ができた今でこそ「無料の」セミナーには行くが、在職中は殆ど参加しなかった。まして、お金を払ってセミナーに参加するなどとんでもない、という感覚だった。
理由は大きく2つである。
ひとつは、セミナーという名前から怪しげな宗教を連想し、「洗脳される」「騙されてお金を搾り取られる」といったことを想像してしまう、ということである。
もうひとつは、他人の話を疑いもなく受け入れてしまうことが許せない、という私自身のこだわり(?)のようなものである。まして、ベテランのセミナー講師の話術をもってすれば、私などイチコロに違いない。
そんな私がつい手にしてしまったのが、マイク・リットマン、ジェイソン・オーマン共著「史上最高のセミナー」:きこ書房 である。本なら騙され度も低いだろう、という気持ちと、一体どんなセミナーに大金を払うのかを知りたいという(怖いもの見たさ)心理からである。
ラジオ番組のホスト(マイク・リットマン)が現代のスーパー成功者にインタビューする(監訳者まえがき)、というものである。
そもそも、マイク・リットマンなる人を知らないし、インタビューされている9人のスーパー成功者(億万長者になった人?)の誰一人知らない。まえがきや序文を読むうち、つまんないな、などと考えていた。だって、いまさら億万長者になりたくもないし、そのための努力などしたくもないもの。
しかし、読むうちに、さすがセミナーで稼げる人の言葉は違う!とつい引き込まれてしまった。いずれの人のひとことひとことが、なるほど、と思わせ、やればできそう、と思わせる。もしも私が一攫千金を狙っていたり、人生やり直したい、と願っていたら、お金を払ってセミナーに行くかもしれない。(怖い)
この中で、目からうろこが落ちた例を2つ挙げたい。
一つ目は、『金持ち父さん 貧乏父さん』(本屋で見たことはあるが読んだことはない)の共著者であるシャロン・レクター氏のインタビューに出てきた内容である。
●お金の世界には4つの異なる種類の人々がいる。従業員(E)、自営業者(S)、ビジネスオーナー(B)、投資家(I)である。SとBの境界は微妙なときがあるが、経営のシステムを構築できればたちまちBに近づける。
●自分自身の経済的な運命をコントロールするためには、IかBになることである。
私は、自営業者であれば、自分の裁量で自分の運命をコントロールできる、と勝手にイメージしていた。しかし、自営業者とは自分があくせく働き、自分がいなくなったら稼ぎがなくなってしまう、という状態であり、ビジネスオーナーや投資家は、自分が1年間ビジネスを放っておいても稼ぎがある、という状態であるということらしい。そのためには経営のシステムが必要、ということなのだ。
二つ目は、スモールビジネス向け経営コンサルティング会社E-Myth Worldwide(全然知らない)の創設者であるマイケル・ガーバー氏の言葉である。
●起業家が自問すべき何より重要な質問とは、「私の第一の目標とは何だろうか? 自分が生きたいと思う人生のビジョンとは、どのようなものだろうか? 生きているあいだに本当に望むものを手に入れられる人生とは?」というものである。
●起業家の商品はビジネスである。
●偉大な起業家は、偉大なストーリーを語るものである。
文字面だけ見ても何のことやら、と思うが、インタビューの中身を読むと納得できる。起業家は、売るモノ(技術だったり、製品だったり、ノウハウだったり)ではなく、それを含むビジネスのシステムを商品と考えなければならない。そのためには、自分の生きる目標から問い直す必要がある。
深い。
本物のセミナーを受けようとまでは思わなかったが、この本は熟読する価値がありそうである。
2013年09月26日
「史上最高のセミナー」はやはり怖い
posted by 石田厚子 at 12:48| Comment(0)
| 本を読む
2013年09月25日
「発明家に学ぶ発想戦略」に唇を噛む
十数年前から1年ほど前まで、ロシア発の発明技法TRIZをビジネスのイノベーションに適用できないか、研究していた。仕事とは関係ないので、自腹を切って海外の学会にもよく出かけた。途中で熱が冷めたりした時期もあるが、よくまあ続いたものだ。
確かに、技術的な発明の原理やパターンは新たなビジネスモデルの創出にも適用できることは確認できたのだが、それがビジネスのイノベーションになるか、というと疑問だった。
要するに、解決すべき問題がはっきりしていれば、解決策はTRIZで導けるのだが、その問題自体が見いだせないのである。目に見えた問題を解決してもイノベーションにはならない。世の中の誰も気づいていない問題を見つけ出して解決すれば、それはイノベーションになる。
世の中にある発想法、発明技法は、解決策の見つけ方にフォーカスしていて、問題の見つけ方については曖昧なままなのである。
そんなわけで、1年ほど前からTRIZとはおさらばしてしまっている。
そして見つけたのが、エヴァン・I・シュワルツ著「発明家に学ぶ発想戦略」(イノベーションを導くひらめきとブレークスルー):翔泳社 である。
本書は、TRIZのような発明のプロセスのパターン化を狙ったものではなく、多くの発明家にインタビューし、その活動の場に行き、彼らの発想のパターンを述べたものである。
やはりあった。「発明家というと問題の解決がうまい人と思われがちだが、それよりも問題の発見が得意な人と考えた方がよい」という記述が。問題の本質を読み取れずにテクノロジーの面からとらえがちであることにも警告を発している。
では、問題の本質をどう掴むのか、については、プロセスなりロジックが示されているわけではない。しかし、多くの発明家の事例を読んでいくと何となく掴めてくるような気がする。何度か読み返しが必要かもしれない。
私が一番心を打たれたのは、「システムとして考える」という章である。
ここでは例として、白熱電球の発明が挙げられている。すなわち、エジソンよりも何か月も前に白熱電灯の実演をしたジョゼフ・スワンよりも、トーマス・エジソンが後世に名を残した理由は、エジソンがシステムの見地から発明を考えたからだという。
エジソンは人々に明かりを届ける手段としてのシステム全体の開発を視野にいれていたため、白熱電球を既存のシステム(ガス灯)に組み込もうとしなかった。スワンは、ガス灯システムとの争いに敗れた。ということだそうである。
システムとして考えることは、問題の本質を掴むこととかなり似ている。というか、同じに思える。視野を広げ、既存の枠組みに囚われない発想が必要ということである。
何だか、十数年も問題解決パターンにこだわっていたことが無駄だった(?)ような。
よく、鳥の目で全体像を広くとらえ、虫の目で詳細をよく見るべし、ということを言う。当たり前だと思っていたが、ちょっと疑わしく思えてきた。
先日、鳥にカメラを付け、空を飛ぶとき何を見ているかを撮影した映像を見た。とても気持ちよさそうに飛んでいるのだが、全然全体像など見ていない。結構、心の赴くままいい加減に飛んで、いい加減に見ている。
意識してものを見る習慣を付けないと、鳥の目を持っていても全体像は掴めないのだ。
確かに、技術的な発明の原理やパターンは新たなビジネスモデルの創出にも適用できることは確認できたのだが、それがビジネスのイノベーションになるか、というと疑問だった。
要するに、解決すべき問題がはっきりしていれば、解決策はTRIZで導けるのだが、その問題自体が見いだせないのである。目に見えた問題を解決してもイノベーションにはならない。世の中の誰も気づいていない問題を見つけ出して解決すれば、それはイノベーションになる。
世の中にある発想法、発明技法は、解決策の見つけ方にフォーカスしていて、問題の見つけ方については曖昧なままなのである。
そんなわけで、1年ほど前からTRIZとはおさらばしてしまっている。
そして見つけたのが、エヴァン・I・シュワルツ著「発明家に学ぶ発想戦略」(イノベーションを導くひらめきとブレークスルー):翔泳社 である。
本書は、TRIZのような発明のプロセスのパターン化を狙ったものではなく、多くの発明家にインタビューし、その活動の場に行き、彼らの発想のパターンを述べたものである。
やはりあった。「発明家というと問題の解決がうまい人と思われがちだが、それよりも問題の発見が得意な人と考えた方がよい」という記述が。問題の本質を読み取れずにテクノロジーの面からとらえがちであることにも警告を発している。
では、問題の本質をどう掴むのか、については、プロセスなりロジックが示されているわけではない。しかし、多くの発明家の事例を読んでいくと何となく掴めてくるような気がする。何度か読み返しが必要かもしれない。
私が一番心を打たれたのは、「システムとして考える」という章である。
ここでは例として、白熱電球の発明が挙げられている。すなわち、エジソンよりも何か月も前に白熱電灯の実演をしたジョゼフ・スワンよりも、トーマス・エジソンが後世に名を残した理由は、エジソンがシステムの見地から発明を考えたからだという。
エジソンは人々に明かりを届ける手段としてのシステム全体の開発を視野にいれていたため、白熱電球を既存のシステム(ガス灯)に組み込もうとしなかった。スワンは、ガス灯システムとの争いに敗れた。ということだそうである。
システムとして考えることは、問題の本質を掴むこととかなり似ている。というか、同じに思える。視野を広げ、既存の枠組みに囚われない発想が必要ということである。
何だか、十数年も問題解決パターンにこだわっていたことが無駄だった(?)ような。
よく、鳥の目で全体像を広くとらえ、虫の目で詳細をよく見るべし、ということを言う。当たり前だと思っていたが、ちょっと疑わしく思えてきた。
先日、鳥にカメラを付け、空を飛ぶとき何を見ているかを撮影した映像を見た。とても気持ちよさそうに飛んでいるのだが、全然全体像など見ていない。結構、心の赴くままいい加減に飛んで、いい加減に見ている。
意識してものを見る習慣を付けないと、鳥の目を持っていても全体像は掴めないのだ。
posted by 石田厚子 at 16:31| Comment(0)
| 本を読む
2013年09月17日
「成功の心理学」で成功とは何かを考える
女性の活用が盛んに叫ばれている。管理職の女性比率を上げる、役員の女性比率を上げる、リーン・イン、育児休暇を3年にする、それでは長すぎる、、、、、などなどかまびすしい。
私自身は、いわゆる大企業で管理職までは行くことができた。まあ、その時点では、自分は人生の成功者か(?)とちょっぴり自慢する気持ちもあった。しかし、定年退職して何もなくなった今、そんなこと(つまり会社の中での地位)は何の意味もないものに思えてきた。
要するに、大切なのは地位ではなく「何をしているか」ではないのか。
大企業で役員になった女性も努力して獲得したという意味で素晴らしいのだが、今の私は、バングラディッシュやカンボジアなどでNPO法人を立ち上げてビジネスをしたり、学校を作ったりしている女性たちの方に共感を覚える。
成功するとは一体何だろうか。
今日の本は、デニス・ウェイトリー著 新訳「成功の心理学」(人生の勝者に生まれ変わる10の方法):ダイヤモンド社 である。
本書では、成功者、すなわち「人生の勝者」とは何か、それになるために何をすべきかを述べている。
では、勝者とはどんな人なのか。ここで、次の記述で目を開かせられる。
「真の”勝利”とは、ただ自分の持っている能力を、自分なりにとことん追求すること」
すなわち、誰でも努力次第で勝者になれるのである。誰にでも何かの「能力」はあり、それを活かせられれば成功者になれるはずである。
さらに、「成功するか否かを決定づけるのは、心構えである」という記述もある。
持って生まれたものや育った環境ではなく、自分自身がどう自分を見つめ、どう行動するかにかかっているのだ。
世の中は自分でコントロールできないことで満ち溢れている。これまでもそうだった。これからもそうだろう。でも、自分でコントロールできないことにこだわって悩むのは時間の無駄である。思うようにいかないことを、世の中のせいにして努力を諦めたら何も成し遂げられない。
自分がすべきことは何か、自分ができることは何か、を徹底的に考え、実現に向けて努力する。ただそれだけ。何と潔いことか。
勝者になるための10の方法とは、
@ 積極的な自己認識
まずは、自分をよく知るということ
A 肯定的な自己評価
自分を認めることで次に進める
B 率先した自己コントロール
非常に難しいけれど他者をコントロールするより可能性は高い
C モチベーションを高める
どうしたいのか、が明確でないとモチベーションは生まれない
D 大胆な自己期待を持つ
ゴールを思い描いてひたすら走る
E どん欲な自己イメージづくり
潜在意識の中に成功している自分を刷り込む
F 明確な目標設定
このあたりから具体的な計画作成に移る
G 活発な自己訓練
何をするにもイメージトレーニングは有効
H 豊かな人生観を描く
まわりも幸せでなければ成功したとは言えない
I 印象的な自己表現
自分の価値を伝えることで完結する
私の女性の友人たちは殆どが専業主婦である。学歴の高い彼女たちは、多くが自分の子供を東大に入れていて、言葉の端々にちょっとした優越感がにじみ出る。(私の考えすぎかも・・・・)
私の男性の友人たちは、多くが大企業で結構よい地位に上り詰め、今は子会社の社長や相談役になっている。リタイア後の生きがいについて心配する一方で、子供を妻に任せて仕事一筋できたことに後ろめたさを感じている。(それでついもういい年をした子供に甘くなったり、孫育てに力が入ったりする?)
成功者とはもっと違うところにあるのではないか。
「人生の勝敗は、最後の最後にならないと決まらない」と書いてある。
私は、子供を東大に入れることもできなかったし、会社では中間管理職で終わったけれど、本当の成功者になれる可能性はまだあるということだ。
自分は世の中にどのような価値を生むべきなのか、そのために自分には何ができるのか、とことん考えて進んでいきたい。
私自身は、いわゆる大企業で管理職までは行くことができた。まあ、その時点では、自分は人生の成功者か(?)とちょっぴり自慢する気持ちもあった。しかし、定年退職して何もなくなった今、そんなこと(つまり会社の中での地位)は何の意味もないものに思えてきた。
要するに、大切なのは地位ではなく「何をしているか」ではないのか。
大企業で役員になった女性も努力して獲得したという意味で素晴らしいのだが、今の私は、バングラディッシュやカンボジアなどでNPO法人を立ち上げてビジネスをしたり、学校を作ったりしている女性たちの方に共感を覚える。
成功するとは一体何だろうか。
今日の本は、デニス・ウェイトリー著 新訳「成功の心理学」(人生の勝者に生まれ変わる10の方法):ダイヤモンド社 である。
本書では、成功者、すなわち「人生の勝者」とは何か、それになるために何をすべきかを述べている。
では、勝者とはどんな人なのか。ここで、次の記述で目を開かせられる。
「真の”勝利”とは、ただ自分の持っている能力を、自分なりにとことん追求すること」
すなわち、誰でも努力次第で勝者になれるのである。誰にでも何かの「能力」はあり、それを活かせられれば成功者になれるはずである。
さらに、「成功するか否かを決定づけるのは、心構えである」という記述もある。
持って生まれたものや育った環境ではなく、自分自身がどう自分を見つめ、どう行動するかにかかっているのだ。
世の中は自分でコントロールできないことで満ち溢れている。これまでもそうだった。これからもそうだろう。でも、自分でコントロールできないことにこだわって悩むのは時間の無駄である。思うようにいかないことを、世の中のせいにして努力を諦めたら何も成し遂げられない。
自分がすべきことは何か、自分ができることは何か、を徹底的に考え、実現に向けて努力する。ただそれだけ。何と潔いことか。
勝者になるための10の方法とは、
@ 積極的な自己認識
まずは、自分をよく知るということ
A 肯定的な自己評価
自分を認めることで次に進める
B 率先した自己コントロール
非常に難しいけれど他者をコントロールするより可能性は高い
C モチベーションを高める
どうしたいのか、が明確でないとモチベーションは生まれない
D 大胆な自己期待を持つ
ゴールを思い描いてひたすら走る
E どん欲な自己イメージづくり
潜在意識の中に成功している自分を刷り込む
F 明確な目標設定
このあたりから具体的な計画作成に移る
G 活発な自己訓練
何をするにもイメージトレーニングは有効
H 豊かな人生観を描く
まわりも幸せでなければ成功したとは言えない
I 印象的な自己表現
自分の価値を伝えることで完結する
私の女性の友人たちは殆どが専業主婦である。学歴の高い彼女たちは、多くが自分の子供を東大に入れていて、言葉の端々にちょっとした優越感がにじみ出る。(私の考えすぎかも・・・・)
私の男性の友人たちは、多くが大企業で結構よい地位に上り詰め、今は子会社の社長や相談役になっている。リタイア後の生きがいについて心配する一方で、子供を妻に任せて仕事一筋できたことに後ろめたさを感じている。(それでついもういい年をした子供に甘くなったり、孫育てに力が入ったりする?)
成功者とはもっと違うところにあるのではないか。
「人生の勝敗は、最後の最後にならないと決まらない」と書いてある。
私は、子供を東大に入れることもできなかったし、会社では中間管理職で終わったけれど、本当の成功者になれる可能性はまだあるということだ。
自分は世の中にどのような価値を生むべきなのか、そのために自分には何ができるのか、とことん考えて進んでいきたい。
posted by 石田厚子 at 09:47| Comment(0)
| 本を読む